境内のご案内
春日の杜散歩
1 | 一之鳥居から二之鳥居へ
一之鳥居から春日大社まで、自然と歴史を楽しみながら歩いてお参りしてみませんか。
①一之鳥居
②影向の松・表参道の馬場
③春日御塔跡
④御旅所
飛火野・春日野
⑤春日大社表参道バス停
⑥お杯の清流
⑦雪消の沢・野守の鏡
⑧飛火野の大楠
大仏殿前の交差点からの春日遊歩道
⑨馬止橋・内侍道
春日大社の表玄関、一之鳥居をくぐると東へ、馬場としても用いられた真っすぐな参道が続きます。 藤原氏の貴族たちが、華やかな行列を整えて進んだ道でもあります。入ってすぐ右手の丘の上には、おん祭に神様が降りてこられるという影向の松があります。
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春日御塔跡(みとうあと)
- memo - 表参道のムクロジ
御旅所
春日若宮おん祭の中心的な祭典がここで行われます。12月上旬には、ここに御仮殿が建てられます。
浅茅が原(あさじがはら)
右手には、苔むした丘に清流が流れる浅茅が原。シイや桧、春日杉などの巨木も点在しています。 丘の向うには、片岡梅林や鷺池・浮見堂があります。
春日大社表参道バス停
参道全部を歩くのがちょっと…。という方は、飛火野の景観が広がるバス停からでも歩いてみてはいかがでしょう。
飛火野・春日野
循環バスの通る舗装道路を渡ると、右手には、芝生の美しい広々とした野原が広がり、御蓋山(みかさやま)の絶好のビューポイントでもあります。この美しい芝地は、鹿が常に群れ遊ぶ所です。
飛火野(とびひの)
現在は飛火野と呼ばれていますが、古くは春日野とも呼ばれ、御蓋山を仰ぐ古代祭祀の地でした。 また万葉の昔には貴族たちが、打球(ポロ)をしたことが知られ、平安時代にも王朝人のあこがれの名所で、 特に若菜摘み、花見など春の遊びの名所でした。 古代の人の信仰と自然を愛する心を是非体感してください。
春日野の地獄
春日の神様は慈悲深い神様で、春日社に縁のあった人は、罪があっても普通の地獄には落とさず、 春日野の下に地獄を構えて、毎日罪人に水を注がれてその苦しみをやわらげられたとの話が、『春日権現験記』に載っています。
この清流を「お杯」と言い習わすのも、神聖な水が、野原を潤すさまに、春日の神様のお慈悲がくまなく行き渡ることのありがたさを重ね合わせた信仰の心によるものでしょう。
奈良公園の芝刈り機?
奈良公園周辺には約1300頭の鹿が生息していますが、鹿が芝を食べ、鹿の出す糞が栄養となり、 芝が育つ上、背の高い草も食べてくれるので、日光もよくあたって更に成育するのです。 この芝地は鹿を養い、また鹿が芝地を養っているのです。
お杯の清流(おさかずきのせいりゅう)
雪消の沢(ゆきげのさわ)
野守の鏡(のもりのかがみ)
飛火野の小高い中央部を流れる水流は、春日山に発する神聖な水谷川の水を分水したもので、興福寺境内へ流れ込んでいます。浸出する水分が、飛火野全体を潤し、雪消の沢のような湿地を作りだしています。
湿地は飛火野の南、鷺原にもあって、こちらが雪消の沢であったという説もあります。
お能の曲名にもなった「野守の鏡」もこの付近に出来た丸い池であったのだろうと考えられています。
飛火野の大楠
明治41年の陸軍大演習後、飛火野で催された饗宴の際の明治天皇の玉座の跡に、記念植樹されたものです。
実際は3本が寄り添って立ちますが、遠くからは一本の大木に見えます。明るい飛火野を象徴する威風堂々とした木です。
※参道の両脇は、樹木の育成のため立入を制限しています。飛火野への立ち入りは、表参道バス停付近か、柵のない道からお入りください。
大仏殿前交差点からの春日遊歩道
東大寺大仏殿にお参りになった方は、交差点から荷茶屋・萬葉植物園に抜ける小道をお通りください。 周囲は森の育成中で、桜や紅葉、椿など四季を楽しんでいただける木々を植え、万葉の歌碑などもある小道です。
馬止橋・内侍道(まどめばし・ないしみち)
表参道がこのあたりで大きく南に曲がりますが、よく見ると萬葉植物園入口の右手に、真っすぐに延びる細い道が見えます。 この道は、春日祭に宮中から派遣される女性、内侍が通った道で、内侍道と呼ばれています。 男性の使いである春日祭勅使以下は表参道を用いました。
- memo - 国宝殿への道、奈良公園最大のケヤキ・春日山大杉切株
幹周りは4.9mほどですが、根元ははるかに太く、奈良公園内で最大のケヤキです。老木で上部は失われていますが、緑の苔に覆われ四方に根を張った姿は、堂々として樹勢はまだまだ盛んです。
国宝殿に併設するカフェ・ショップ鹿音では樹齢1000年の大杉の切り株を見ることが出来ます。春日奥山の名木として知られていましたが、火事のため伐採されました。
春日大社境内における撮影について
(A4サイズ・247KB)